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展示・イベント情報一覧


■ 国立ハンセン病資料館

開催期間:2017/09/30 ~ 2017/12/27
 かつてのハンセン病療養所では、経費と人手の不足を補うために、入所者が食料生産、炊事、配食などの仕事をしていました。たとえ鍬くわを握る手が傷ついても、感覚を失った手に鍋や熱湯でやけどをしても、食に関わるさまざまな仕事に自分たちも携わらなければなりませんでした。その一方で、故郷へ帰る望みを絶たれ、徐々に進んでゆく障害への不安をかかえながら療養生活を送る入所者にとって、食事は大きな楽しみでもありました。そのため入所者たちは、食をめぐる環境を充実させるために、多くの努力を重ねてきたのです。
 戦後、医療と生活の改善を求める患者運動では食の向上が重要な課題となりました。入所者たちは食の仕事を担になう職員の配置や、体調と年齢に応じた献立の実現などを求め続けました。
 食材を外から仕入れ、調理や配食を職員が行うようになってからも、変化に乏しいくらしに彩りを添え、少しでも口に合うものを食べるために、自分好みの食膳を整えることもあります。また故郷から離れて集団生活を送る入所者にとって、食は生まれ育った土地や家族との食卓を思い出すよすがでもあります。
 本展では、療養所での食のしくみと、隔離のなかを生きるため、そしてささやかな悦よろこびを作り出すための食をめぐる営みについてお伝えします。


開催期間:2017/04/29 ~ 2017/07/30
 近年、全国の国立ハンセン病療養所では、社会交流会館の設置が相次いでいます。これは療養所が、資料や史跡の保存、展示や講演を中心とした普及啓発、地域との交流等に力を入れていこうとしていることの表れです。
 一方、すでに長い活動実績がある社会交流会館や、元私立療養所の記念館、国立の資料館も存在しています。こうした博物館施設の数は、今や14館にのぼります。それぞれ療養所の成り立ちや生活や文化を中心に、特色のある活動を展開しています。療養所には固有の歴史があり、それらを残し社会に伝えるこうした施設の存在意義は、非常に大きなものがあります。
 今回の企画展では、各療養所の歴史への理解が深まり、資料や史跡の保存、普及啓発、地域との交流等の取組みが進むことを願って、全国の博物館施設を紹介します。ぜひ実際に足を運んでみてください。


開催期間:2016/10/01 ~ 2016/12/27
 ハンセン病療養所では、入所者の間でスポーツが盛んでした。早いところでは1910(明治43)年頃にはすでに運動会が開催され、1925(大正14)年前後には野球、テニス、卓球、相撲などが行われるようになりました。これらは太平洋戦争の中断を経て、社会復帰者が増加する1960年代まで続きました。また戦後はバレーボール、ソフトボール、バトミントンなども新たに登場し、1970年代後半からはすべての療養所でゲートボールが盛んになりました。
 入所者には、限られた空間と選択肢しか許可されない療養所の中で生きていることを実感するために、また自分が患者・回復者だということを一時的にでも忘れられる時間を手に入れるために、何か血を湧立たせるものが必要でした。生きがいを見出し療養生活を少しでも実現したものとするために、また社会と関わる場面を手に入れるために、没頭し他人と対等に渡りあえるものも必要でした。入所者にとってスポーツは、単なる娯楽の域を越えて、まさに生きるために無くてはならないものだったのです。本展を通して、入所者がスポーツに向けた、いわば”生きるための熱”を感じていただければ幸いです。


開催期間:2016/04/29 ~ 2016/07/31
 2016(平成28)年は、「らい予防法」廃止20 周年にあたる年です。これにあわせ、国立ハンセン病資料館では、「らい予防法」そのものを取り上げた企画展を開催します。
 本企画展は、「らい予防法」がどのような法律だったのか、なぜ廃止は遅れたのか、どのような経緯で廃止に至ったのか、回復者・関係者は「らい予防法」とその廃止をどのように評価したのかといった観点から、「らい予防法」の誤りを再確認しようとするものです。
 法律を対象とするため、法文や解説についてのパネルが主な展示資料となりますが、「らい予防法」等の御署名原本(国立公文書館所蔵、特別展示期間)、「らい予防法」をテーマとした文芸作品、回復者・関係者が「らい予防法」について語った映像資料なども展示します。
 この機にもう一度「らい予防法」をふりかえることで、その誤りについての認識を新たにしていただければ幸いです。


開催期間:2015/10/03 ~ 2015/12/26
 熊本市島崎の一角に、115年にわたり存続した、カトリック系の私立ハンセン病療養所がありました。2013年1月、入所者の減少により静かに幕を閉じた待労院です。
 近代日本におけるハンセン病療養所は、宗教者による救療事業に端を発しています。1898年創立の待労院もその一つで、日本有数のハンセン病患者の集住地であった本妙寺周辺における、「パリ外国宣教会」の司祭J.M.コールと、「マリアの宣教者フランシスコ修道会」の5人の修道女による施療活動がその起こりです。
 1901年、本妙寺にほど近い琵琶崎の丘に、ハンセン病患者の療養施設である待労院が建設されます。やがてこの地には親を失った子どもや路傍に棄てられた高齢者などの困窮する人びとも集まり、修道女たちとともに信仰に基づく共同生活を送る「聖母ヶ丘」が形成されました。待労院はその中で、名称や機能を変えながら、ハンセン病患者・回復者の生活の場であり続けました。
 当館ではこれまで主として国公立のハンセン病療養所に焦点を当ててきましたが、この度の待労院の閉鎖を機に、その創立から閉院までの歩みを展示いたします。国公立療養所とは異なる形成過程とそこでの療養生活の一面をご覧いただき、ハンセン病療養所の歴史への理解をより深めていただければと考えています。また「聖母ヶ丘」の始まりとなった待労院という存在を通して、近代以降の日本における宗教と社会事業との関わりについてお考えいただくきっかけともなれば幸いです。


開催期間:2015/07/17 ~ 2015/07/31
 国立ハンセン病資料館は、北條民雄の童話『すみれ』を原作として、今年3月に絵本『すみれ』を刊行しました。そしてこの度、関係各位のご協力を賜り、絵本『すみれ』の原画展を開催する運びとなりました。

 北條民雄の名を不朽のものにしたのは、全生病院(ぜんせいびょういん)(現在の多磨全生園(たまぜんしょうえん))に入院した翌々年(1936年)に発表した、小説『いのちの初夜』です。この小説の主人公・尾田は、全生病院への入院当夜、病床に横たわる患者の無残な姿を見て、自殺しなかったことを後悔します。そんな尾田に、病棟付添いの佐柄木(軽症な患者)が話しかけてきます。「誰でも癩になつた刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。(中略)けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです」と。執筆時から30、40年先の医療で取り入れられることになる「障碍の受容」について、北條はその核心を突いていたことになります。

 こうしたメッセージを、童話『すみれ』からも読み取ることができます。「誰も見てくれる人がなくても、わたしは一生懸命に、出来る限り美しく咲きたいの。どんな山の中でも、谷間でも、力一パイに咲き続けて、それからわたし枯れたいの」というすみれの言葉は、佐柄木のいう「復活」に通じます。また、それを聞いた老人が「さうだ、わしも、町へ行くのはやめにしよう」と思いなおすのは、佐柄木の話を聞いた尾田が「やはり生きて見ることだ」と強く思うのと同じです。

 現在は薬によって治る病気となったハンセン病は、『いのちの初夜』の時代にはほぼ不治の病でした。そして病気に限らず、いつの時代でも絶望や苦痛は人びとを打ちのめします。子どもたちがいずれ困難にぶつかったとき、絵本『すみれ』が大きな励ましになることを願ってやみません。


開催期間:2014/11/16 ~ 2015/05/31
 趙 根在チョウ・グンジェ(日本名・村井金一むらいかねいち)は1933(昭和8)年、愛知県で生まれました。生家は貧しく15歳で中学校を退学、家計を支えるため岐阜県内の亜炭鉱山に働きに出ました。以後数年間、事故と隣り合わせの危険な炭鉱労働に従事しましたが、やがて「地底の暗闇」で迎える死の予感に耐えられなくなり、「地上へ、光への脱出願望」をつのらせていきました。この時の辛く苦しい体験が、後にハンセン病療養所の入所者に対する深い共感へつながってゆきます。

 1957(昭和32)年に上京し、映画プロダクションに所属して照明の仕事をしていた1961(昭和36)年、初めて国立療養所多磨全生園を訪れました。そこで在日朝鮮人入所者に出会い、「ここの人はかつて私が地底で体験したような出口のない闇のなかに閉じ込められているのだ」と強い衝撃を受けます。そして、その闇から脱け出したいという入所者の切なる願いを、社会に伝えることこそ自分の使命だと確信し、これがきっかけとなって初めてカメラを手にしました。入所者と療養所を写すためだけのカメラマンの誕生でした。以後20年以上にわたって全国の療養所10ヶ所に通い、入所者と寝食を共にしながら撮り続けた写真は2万点にも及びました。

 趙根在の写真は、体の不自由な夫にヤカンで水を飲ませる妻の姿や、感覚のない指の代わりに舌と唇で点字を読む視覚障碍者、亡くなった入所者の葬送、患者運動など、そこに生きる人々とその生き様を鮮明に写し取っています。それらは入所者との強い信頼関係がなければ撮影できなかった場面の数々です。さらに火葬場、監禁室などを写し、それらが存在していた当時の療養所の特異性を伝えています。本展覧会では、これらの写真の中から81点をご紹介します。

 趙根在が写真を媒介にして、どうしても社会に伝えなければならないと考えた入所者の姿を、ぜひこの機会に皆さんも心に刻んで下さい。


開催期間:2014/04/26 ~ 2014/07/27
 ハンセン病療養所では入所者の家は一般寮(健康舎)と不自由者棟(センター)に分かれています。その内、不自由者棟では後遺症の悪化や合併症、高齢化などに伴って介護を必要とする入所者が暮らしています。少しだけ職員の手を借りればあとは自分で生活ができる人から、食事・排泄などすべてにおいて介助を必要としている人まで不自由度はさまざまです。そして、職員は、日常生活の援助を行い、レクリエーション等を通じて単調になりがちな暮らしに刺激を与えようと働いています。不自由者棟とは、どんなに不自由になっても懸命に生きている人が暮らし、それを支える人々が働き、そのための環境を備えている場所なのです。

 かつてハンセン病療養所では不自由舎(現在の不自由者棟)の看護と介護を患者が行っていました。それを職員に切り替えるため、1964年の六・五闘争など入所者たちは長年にわたる運動を行いました。その成果として、介護の職員化、雑居だった部屋の個室化、設備の改善などを勝ちとってきました。一見非常に整った環境のように見える今日の不自由者棟ですが、こうなるまでには入所者の大きな努力が払われてきたのです。

 ハンセン病療養所の入所者の平均年齢は80歳を越え、今後ますます多くの人が不自由者棟へ移動すると考えられます。入所者にとって最期を迎える場になりつつあり、その重要性はよりいっそう増していくでしょう。

 不自由者棟とその入居者について知ることは、歴史を踏まえて現在のハンセン病回復者や療養所への認識を深め、さらには将来への展望を考えるきっかけになるはずです。本展では六・五闘争から50年目にあたる今年、あまり知られていない不自由者棟の中の様子をお伝えします。皆様のご来館をお待ちしています。

会期中付帯事業を行います。詳細はホームページでご報告します。


開催期間:2014/04/05 ~ 2014/05/11
 林志明さんは、1929年、広東省南部の貧しい農家に生まれました。8歳の時にハンセン病と診断され、1951年に広東省東莞とうかんの医院に入院します。
 1961年、32歳で病気の治癒とともに社会復帰したのですが、数年後、ハンセン病回復者であることを理由に職を追われてしまいます。その後は路上で自作の書を売って生計を立てなければならず、偏見の強い社会の中で苦難の連続でした。そうした生活の中で書画活動だけではなく、ハンセン病患者・回復者の境遇を広く伝えるための執筆活動を続けました。
 また林さんは、1996年に設立された回復者支援組織である広東省漢達ハンダ康福協会(HANDA)に設立当初から参加し、広東省 各地のハンセン病療養所や回復者の村の現状を視察してまわりました。そこでもハンセン病患者・回復者の実情についてニュースレターや著書を執筆し、広く世に伝える活動を行ってきました。
 絵を描くことは林さんにとって心の慰めであり、自分自身の生きた証をのこすことだといいます。本展覧会では、林さんが苦難の中でも自身の生きた証をのこすために丹精こめて描いた牡丹や鳥、虎などの中国画や書作品22点をご紹介いたします。
 本展覧会を通して、中国のハンセン病患者・回復者への皆さまの関心が高まることを望みます。
 多くの皆さまのご来場をお待ちしております。
※会期中、一部展示替えがございます。ご了承ください。

講演会
「私と書画活動」【逐次通訳】
中国から林志明さんをお招きし、これまで行ってきたハンセン病患者・回復者の実情を伝えるための活動や、ご自身の人生について、また現在取り組んでいる書画活動への思いについてお話していただきます。

日時: 2014(平成26)年4月5日(土)13:30~15:30(開場 13:00)
場所: 国立ハンセン病資料館 映像ホール
※入場無料。定員150人(当日先着順。事前申込不要)




開催期間:2013/10/05 ~ 2013/12/27
 当館の隣には国立のハンセン病療養所多磨全生園の広大な敷地が広がっています。そこは入所者のみなさんが、仲間と共に生きてきた過去の記憶を刻み込み、現在のくらしを営み、自分たちがいなくなった後の将来への望みを込めている場所です。敷地の中を歩くと、そうした想いが詰まった場所なのだと気づかせてくれるポイントに、あちらこちらで出会います。まさに、現地が持つ力に触れる瞬間の連続です。
 今回の企画展では、多磨全生園に数多くあるポイントから63カ所をご紹介し、現地が持つ力に触れるための入口をご用意します。しかしあくまでも入口に過ぎませんから、展示を見た後は現地へ行って、過去に園内で生きた方々、今園内にくらす方々の、想いの一端に触れてみてください。そしてその先に、入所者との個人的な人間関係が築かれることを願っています。

☆付帯事業のご案内
 多磨全生園内の現地ガイドツアーを下記の日程で行います。参加希望の方は当日開始時刻までに当館1階ロビーにお集まりください。(各回先着30名様までとさせていただきます。)

日 程: 2013年 10月19日(土)・20日(日)
11月23日(土)・24日(日)
12月14日(土)・15日(日)
全6回(土曜日と日曜日でコースが異なります。)いずれも午後1時より午後3時まで

※ お願い:療養所は入所者の生活空間です。敷地の中ではマナーを守り、建物や庭に勝手に入る、草木を取る、無断で入所者を撮影するなどの行為はおやめください。


開催期間:2013/06/25 ~ 2013/07/28
 おかげさまで国立ハンセン病資料館は、 高松宮記念ハンセン病資料館として1993(平成5)年6月25日に開館して以来、 今年で20周年を迎えることができました。
 これまでの当館の歩みを写真で振り返ります。
 今後さらに活動を充実させ、ハンセン病問題の解決に努めて参ります。
多くのみなさまのお越しをお待ちしております。


開催期間:2013/05/11 ~ 2013/08/11
 ハンセン病と日本人との関わりは古く、『日本書記』に「白癩」の記述をみることができます。古代から近世までのハンセン病への認識は、感染する病、仏罰による病、「けがれ」た病、家筋・家柄が原因というように変化しなおかつ重なりあっていました。
 そうしたなかで、患者たちは、罪深い者、業を負った者として社会の底辺におかれてきました。なぜこの病気を患った人が、ひどい差別を受けるようになったのか、近代における「癩」対策がなぜ誤ってしまったか、その源を知るためにも、前近代に関する調査・研究も、私たちは継続しなければなりません。
 しかしながら、近代日本が国策として「癩」対策事業を始める以前は、ハンセン病およびその患者が歴史の表舞台に現れることは少なく、史資料も断片的で各時代の差別・偏見の実相を窺い知ることはなかなか困難です。
 そのような乏しい史資料にあって、中世前期(鎌倉時代)には、ほぼ同時代を生きた一遍・忍性に関連する事跡のなかに、当時「非人」として総称された被差別民に包括された人々(「癩者」)のあり様について垣間見ることができる情報が遺されています。
 そこで本展覧会は、日本前近代史におけるハンセン病についてとりあげる端緒として、中世前期の人々のハンセン病患者への眼差し、そして患者の社会のなかでの処遇について、一遍聖絵・極楽寺絵図を観ることによって、差別の実相を窺う手がかりを見いだしたいと考えています。

 「神奈川県指定文化財『一遍上人縁起絵』(清浄光寺蔵)の実物は、6月22日(土)~7月5日(金)に展示いたします。それ以外の期間は複製資料を展示しています。」

付帯事業
会期中に田中密敬氏(真言律宗極楽寺住職)、遠山元浩氏(時宗総本山遊行寺宝物館学芸員)をお招きしての講演会を予定しています。

講演者:田中密敬氏(極楽寺住職)
内 容:忍性上人の事跡と極楽寺絵図の世界(仮)
日 時:2013年6月1日(土) 午後2時より
会 場:国立ハンセン病資料館 1階映像ホール
定 員:150人(予約不要・先着順、入場無料)
講演者:遠山元浩氏(遊行寺宝物館学芸員)
内 容:一遍聖絵の世界と病者への眼差し(仮)
日 時:2013年7月27日(土) 午後2時より
会 場:国立ハンセン病資料館 1階映像ホール
定 員:150人(予約不要・先着順、入場無料)

会期中、各月第3土曜日(5月18日、6月15日、7月20日)、午後2時より、学芸員による展示解説を行います。


開催期間:2012/10/06 ~ 2012/12/27
 2012(平成24)年度秋季企画展「癩院記録(らいいんきろく)―北條民雄が書いた絶対隔離下の療養所―」は、絶対隔離の時代の療養所内を記録した随筆「癩院記録」「続癩院記録」を、当時の道具や写真を用いて展示化したものです。著者の北條民雄は小説「いのちの初夜」で知られ、入所してから亡くなるまでの3年半の間に、癩患者の姿を通して新しい人間像を描こうと、優れた文章を数多く残しました。
 今回の企画展で描く療養所の様子は、プロミンにはじまる化学療法がまだなかった時代のものです。今ではあり得なくなった状況を改めて取り上げる理由は、今回の展示の土台をなす北條民雄の随筆が、症状の重さをはじめ患者を取り巻く当時の状況を背景にして、重度の身体障害を負う者や、症状の進行を止められない病気を患う者が身をもって示す、“それでも人間として生きることの尊さ”を描いているからです。これは原因や時代背景が異なっていたとしても、その人がいかなる状況にあっても人間として存在しているのだという意味で、まぎれもなく社会にとって今日的課題であるはずです。
 元の随筆に加え、展示としても表現することで、私たちは総合すれば文章表現だけでは持ち得なかったリアリティを持つことができるでしょう。目を背けることなく当時存在した背景を認識することではじめて、その中で患者が示した生きることの尊さにも共感できるのだと思います。そのため今回の展示では、随筆に書かれている状況をできるだけ忠実に再現することをめざしました。そこから手に入れる絶対隔離下の療養所と患者についての歴史認識が、今いる個々の回復者と向き合った人間関係につながれば幸いです。また、ハンセン病の歴史と今日的課題との接点を、患者・回復者ではない私たちそれぞれが見つけるのに役立つことを期待します。

※付帯事業
 北条民雄の人物像や作品について、『吹雪と細雨 北条民雄・いのちの旅』(皓星社 2003年)の著者による講演会を開催します。
講演者=清原工(きよはらたくみ フリーライター)
開催日時=11月10日(土)午後1時30分~3時(午後1時開場)
会場=当館映像ホール 定員=150人(予約不要・先着順)


開催期間:2012/04/28 ~ 2012/07/29
 現在の日本では、若い人びとにハンセン病が発症することはまずありません。しかしかつて若くして発症し、隔離された人びとは、療養所に生きざるを得ないという諦めと、やがて自分も目の前の長期療養者のようになってゆくのかという虚しさに苦しみました。
 1940年代後半に登場した化学療法薬は、療養所で一生を終えるというそれまでの通念を変えました。治れば社会人としての生活ができる、家庭を持ち、子どもを産み育て、家族とともにくらす、ということが夢ではなくなったのです。「らい予防法」には退所規定がなく、治癒して後遺症も軽い青年たちは、「長期帰省」や「一時外出」、あるいは「逃走」などの形で療養所を出ました。こうした「社会復帰」は、高度経済成長を背景に、1960(昭和35)年にピークを迎えました。
 しかしそれは戦後の療養所の若い人びとが、貧しくとも生活は保障される隔離下に生きるか、それともさまざまな障壁があっても「社会復帰」するかの選択を迫られることでもありました。隔離され、仕事や家庭などの生活基盤をすべて失った人びとにとって、もう一度社会に戻ることは大変難しいことだったのです。また隔離政策下にやむを得ず入所したにもかかわらず、就職の斡旋や仕事が見つかるまでの生活資金などの支援はほとんどありませんでした。一度療養所を出ても、厳しい生存競争に疲れ果てて再入所した人もいました。
 療養所の外には、ハンセン病が治るようになったことすら伝えられていませんでした。現在と比べものにならない激しい偏見の中では、ハンセン病であった過去を隠し続けなければならず、重労働、再発への不安が常につきまといました。人には言えない過去と後遺症のために「悔しい」「情けない」という思いに苛まれる辛さと、それでも自分の手で自ら生きる喜びを、共に抱え込むのが当時の「社会復帰」でした。
 本展では、1950年から1970年頃までの「社会復帰」についての議論や運動を紹介し、当時「社会復帰」を経験した人びとの姿を通して、若い回復者が直面した困難と挑戦の一端をお伝えします。また、ハンセン病をめぐって主として取り上げられてきた「療養所に生きる苦悩」ばかりでなく、「社会に出て生きることの苦悩」に焦点をあて、改めて私たちの中に潜む差別と偏見のありようを問いたいと思います。

•各月第3土曜日(5月19日・6月16日・7月21日)に学芸員による展示解説を行います(14時から40分程度)。
•「社会復帰」を経験された方等による講演会を予定しています。詳細は当館ホームページ等でお知らせします。


開催期間:2011/10/01 ~ 2011/12/27
 国立ハンセン病療養所入所者でつくる全国組織 全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)は、1951年の結成から60年を迎えました。この間、らい予防法改正・患者作業の職員化・生活費の確保・医療の充実・社会保障の確立・療養所内の整備などを、長年の患者運動を通して求め続け、少しずつ実現してきました。そしてついにらい予防法を廃止し、裁判で国に責任を認めさせるまでに至ったのです。現在では高齢化と人数の減少に直面する中で、生活と医療の場である療養所の存続と社会化を目指しています。
 こうした全療協の運動によりもたらされた成果が、戦後のハンセン病療養所の歴史を形成してきたと言っても過言ではありません。全療協の歴史を見ることで、その時代その時代に何が課題となり、どのようにして乗り越えてきたのかを知ることができます。患者・回復者や療養所とのこれからの関わり方を考えるためにも、全療協の60年のあゆみをご覧下さい。

※11月の毎週土曜日13:00~15:00 全療協の歴史に詳しい方をお招きし、連続講演会を開催します。


開催期間:2011/08/27 ~ 2011/09/25
 本展では、国立駿河療養所で暮らし、昨年4月にお亡くなりになった伊藤秋夫さんの遺作を紹介します。
 伊藤さんは、療養所からも間近にみえる富士山を中心とした風景写真に優れた作品を残しました。
 四季折々の草花に映える富士山、朝夕晩の刹那に浮き上がる富士山を切り取った作品には、観る者の心をわしづかみにする不思議な力があります。是非、一度ご覧ください。


開催期間:2011/05/21 ~ 2011/06/26
 本展では、国立療養所大島青松園に暮らす詩人 塔和子さんを紹介します。
 塔さんは14歳で入所し、1957年頃から詩を作り始めました。以来54年間詩作を続け、これまでに膨大な数の作品を生み出してきました。1999年には、詩集『記憶の川で』が高見順賞を受賞しています。
 塔さんは詩の題材を日常生活の中に求めるため、療養所内の変遷や人間関係など自らを取り巻く状況から影響を受けて、詩の色調を変えてきました。しかしその詩は一貫して、自身の内面をうたっています。
 本展では、これまでに編んだ19冊の詩集から順に1篇ずつ詩を紹介し、塔さんの詩の変遷を追います。また、塔さんを写した写真や直筆原稿なども展示します。詩に表現された塔さんの人となりを感じていただければ幸いです。

付帯事業

○沢知恵 塔和子をうたう ピアノ弾き語りコンサート
日時:2011年5月28日(土) 第1回・12:00~13:00/第2回・15:00~16:00
場所:国立ハンセン病資料館1階 映像ホール
ご希望の方は事前に、ハガキにお名前・ご住所・電話番号・人数(1枚のハガキで2名まで)・希望時間(第1回または第2回)を明記の上、塔和子展企画実行委員会までお申し込みください。入場整理券をお送りします。
お申し込み先:塔和子展企画実行委員会 代表・川崎正明

〒662-0811 兵庫県西宮市仁川町6-6-12
電話番号:0798-52-5639 携帯電話:090-2049-0394


○映画「風の舞」上映会
監督:宮崎信恵/著作:ピース・クリエイト(有)/2003年/60分
※当日は宮崎信恵監督の挨拶があります。
日時:2011年6月11日(土) 13:00~14:00
場所:国立ハンセン病資料館1階 映像ホール
事前申し込み不要。ご希望の方は当日会場までお越しください。

○朗読・読書会
詩選集『希望よあなたに』を読みます。
日時:2011年5月29日(日)13:00~15:00 / 2011年6月11日(土)14:00~16:00
場所:国立ハンセン病資料館1階 研修室
事前申し込み不要。ご希望の方は当日会場までお越しください。
お問い合わせ:塔和子展企画実行委員会(連絡先:上記 川崎正明)まで。


開催期間:2011/04/23 ~ 2011/07/24
 ハンセン病の特効薬がなかった時代、療養所では失明した人が、全入所者の約1割を占めていました。失明は、知覚を失い、手足など他の障がいを併せ持つ多くの入所者に、さらなる絶望を与えました。「誰かの助けを借りないと何もできない」とされていた盲人たちの多くは、部屋の片隅で柱を背にし、虚無感の中で一日を過ごすしかなかったといいます。
 戦後になり、化学療法の登場や、全国ハンセン病患者協議会(全患協)の結成など、大きな変化が起こりました。その中で「自分たちにも自分の力で何かできることがないだろうか」と各園で盲人組織が誕生し、1955(昭和30)年には、全国組織である全国ハンセン氏病盲人連合協議会(全盲連)が結成されました。盲人の幸福をはかることを目的として、生活改善のための運動をはじめ、全患協の運動にも積極的に参与しました。全盲連は、国民年金獲得や不自由者看護職員切替えの闘いでも大きな成果をあげ、今年で56年目を迎えます。
 一方、文学や音楽、陶芸、将棋にいたるまで、さまざまな文化活動も展開し、その活躍の場は療養所の外にも広がっていきました。中には点字を指ではなく、知覚が唯一残った唇や舌先で読むなど、文字通り血のにじむような努力を続けた人もいました。
 
 本企画展では、戦前から現在に至るまで、療養所においてどのように盲人たちが生き抜いてきたのか、生活や運動、そして文化活動を中心にご紹介いたします。
 困難であっても自分の可能性を信じ、様々な活動に取り組もうとした、かすかな光をもとめようとした姿を是非、ご覧いただきたいと思います。

【関連事業】
□講演会「多磨盲人会ハーモニカバンドの思い出」
多磨盲人会ハーモニカバンドのメンバーと交流のあったタケカワユキヒデさんをお招きして、思い出をお話していただきます。
日時:2011年6月12日(日) 13:30-15:30

□朗読コンサート
療養所内の盲人の方々が生み出した文学作品を、宴堂裕子さん、小池保さん、三宅民夫さんの朗読、渥美知世さんのアコーディオン演奏とともに味わいませんか。
日時:2011年7月10日(日) 13:30-15:30

※両日とも入場無料。先着順に150人まで受付。

□学芸員によるギャラリートーク
日時:2011年4月30日(土)14:00-14:30
     5月15日(日)14:00-14:30


開催期間:2011/02/11 ~ 2011/03/06
 本展覧会では高山勝介氏による陶芸作品をご紹介いたします。
 高山氏は1926年に東京で生まれました。戦後ハンセン病を発症し、1946年に多磨全生園に入園します。入園後は様々な園内作業に従事し、結婚し、畑仕事を始め、園内にある宗教団体の秋津教会に入会するなど、療養所の中で生活を送ってきました。
 しかし1979年頃ハンセン病の後遺症で視力が低下し失明しかけます。視力が低下して落ち込んでいた時、多磨全生園のリハビリテーションの一環として設けられていた陶芸室に通う藤田四郎氏から「土をこねているだけでもいいから」と声をかけられました。それから30年以上、今に到るまで作陶活動を続けています。
 作陶が目の直接的な治療になったわけではないでしょう。しかしそれが高山氏の気持ちを前向きにし、生きがいになっていったことは確かです。それは絶望や後遺症を乗り越えて療養所の中で生きる糧を見出したということでもありました。ハンセン病回復者が自身の後遺症と付き合いながら生活していかなければならないことを考えたとき、現在まで作陶活動を続けていること自体が貴重です。またその手から生み出された作品は高山氏の生きる姿そのものではないでしょうか。
 本展覧会では高山氏が制作した作品を高山氏の歩みを知ることができる写真とともにご紹介いたします。本展覧会に向けて高山氏が制作された新作も展示いたします。高山氏の姿を感じさせるこれらの作品をこの機会にぜひご覧ください。

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