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トピックス一覧



調布市郷土博物館


企画展「お米にまつわる調布ものがたり」

お米は、古くから私たちの暮らしと深く関わってきました。
食べるだけでなく、税として納めたり、売ることでお金にしたり、
祭りや儀式のときに使われたり、米づくりが始まってからずっと、身近で大切な存在であり続けています。

土器を使っていた頃から、電気が広まる昭和の頃まで、お米にまつわる様々な資料をあつめ、調布のものがたりをたどります。

展示期間 令和元年6月1日~9月1日



小金井市文化財センター


小金井桜と二人のイギリス人研究者

 小金井の桜は早くから海外の研究者にも注目され、国の名勝指定以前の大正3年4月、ハーバード大学の委嘱により来日したアーネスト・ヘンリー・ウィルソン(1876~1930)が小金井堤を訪れ、極めて鮮明なガラス乾板写真を撮影しています。玉川上水と小金井の桜並木の写真は、絵葉書をはじめとして膨大な数に上りますが、撮影年月日まで分かるものは極めて稀です。ウィルソンが撮影した「日の出の桜」や梶野橋の写真は、撮影年月日のみならず撮影地点が特定できる貴重なものです。
 ウィルソンはイギリス中西部に生まれ、21歳で王立植物園キューガーデンに採用されます。23歳で中国から幻の花「ハンカチノキ」の種子を持ち帰るなど、計4回にわたり中国奥地を探検し、当時は未知の植物をヨーロッパにもたらしたプラントハンターとして知られる人物です。その後、アメリカに住まいを移し、ハーバード大学アーノルド植物園に勤務。大正3年の初来日時には、屋久島から北海道までを縦断し、2月に屋久島で屋久杉の切り株「ウィルソン株」を発見したのち、4月に小金井堤を訪れています。
 ウィルソンが小金井を来訪した大正3年4月9日は、昭憲皇太后が崩御した日でもあります。大久保善左衛門(常吉)を中心に小金井桜を国の名勝に指定すべく運動していた地元団体「小金井保桜会」は、当初、その発会式を大正3年4月12日に予定していました。ところが、昭憲皇太后崩御により延期、翌大正4年4月18日に発会式を行います。ウィルソンは事前に小金井保桜会が発足する時期を見計らって、小金井を訪れたのかも知れません。
 ウィルソンは東京での定宿を帝国ホテルにしていましたが、帝国ホテル支配人林愛作は、桜を愛好する日本全国の名士の集まり「桜の会」の中心人物でした。桜の会の会員には、大久保善左衛門(常吉)や磯村貞吉など、小金井保桜会の上層部も名を連ねており、ウィルソンが小金井堤を訪れたのも、桜の会経由の情報提供によるものでしょう。ウィルソンは牧野富太郎や三好學とも交流があり、多様な品種が集中して展開する小金井の桜並木に、学術的な側面から目を向けたのは必然でした。大正13年、小金井保桜会の働きかけが功を奏し小金井桜は国の名勝に指定、さらに大正15年には、イギリス人園芸家コリングウッド・イングラム(1880~1981)が小金井を来訪します。
 イングラムはロンドンに生まれ、祖父の代から新聞事業で財を成し、裕福なので働く必要はなかったので、学校教育は一切受けず、独学で鳥類や桜の研究者として名を成しました。来日は明治35年・明治40年・大正15年の都合三回にわたり、日本全国の桜の名所を行脚しました。日本の多様な品種のヤマザクラに魅せられたイングラムは、その穂木(接ぎ木の際に台木に挿す枝)をシベリア鉄道や船でイギリスに送っています。今日、イギリスに広まっている日本のヤマザクラは、イングラムによって植樹されたものの子孫です。
 イングラムが小金井を訪れたのは、武蔵小金井駅正式開業後、初めての春である大正15年4月21日。通訳と案内は、桜の会の林愛作が務めました。現代にイングラムを紹介した阿部菜穂子氏より直接伺ったところでは、イングラムは日の出の桜と並ぶ名桜「富士見桜」を撮影し、すでに老木化が進んでいた富士見桜の手当ての必要性を手記に残しているそうです。またイングラムは帰りがけに、小金井橋南にあった磯村貞吉の経営する華丘香園(はなおかこうえん 別名:三田育種場小金井支場)を訪れ、八種類のヤマザクラと紅梅の穂木を、イギリスのイングラム邸まで送ることを依頼しています。さらに昭和3年には、イギリスに帰国したイングラムのもとに、桜の会から富士見桜の穂木を船便で送っています。現在、イギリスに広まっている日本のヤマザクラの中には、小金井桜の子孫もあるはずです。

参考文献
古居智子『100年前の東京と自然 プラントハンター ウィルソンの写真』八坂書房
阿部菜穂子『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』岩波書店



小金井市文化財センター


金井観花詩歌図巻に見る小金井桜樹碑

 文化7年(1810)に建立された小金井桜樹碑の碑文は、小金井桜の始まりを伝えた最初の文章で、多摩郡清水村(現東大和市)出身の漢学者大久保狭南(おおくぼきょうなん)の撰文によるものです。川崎平右衛門定孝が元文2年に小金井桜を植えたとする碑文は、後々の地誌や紀行文に典拠として頻繁に引用され、多くの研究者が検討を加えています。それに比べて、これまで注目を浴びなかったのは、「小金井桜樹碑は最初、どこに建立されたのか?」という問題です。
 現在、小金井桜樹碑は小金井橋から五日市街道を西に向かった海岸寺(小平市御幸町)の門前にあります。碑文が刻まれたオモテ面を参道に面して、つまり西に向けて建っています。しかし、これは少々奇妙なことです。桜樹碑は五日市街道を逍遥する花見客に、小金井桜の起源を伝えるために建立されたものなので、本来、五日市街道にオモテ面を向けて建てるのが自然でしょう。
 金井観花詩歌図巻では、江戸藩邸から花見に来た越前丸岡藩主有馬誉純(ありまなずみ)自身が、紀行文に小金井桜樹碑について触れており、同行した絵師伊星元雅(いぼしもとまさ)が描いた風景画のなかの小金井桜樹碑は、五日市街道に面して建っています。実地に見て描いた風景画であったことは、その信憑性を高めています。さらに現在と向きが異なるだけでなく、その位置も若干、小金井橋寄りの東側にあったことは、江戸期の地誌から察せられます。

(小金井)橋の北に秋葉権現の祠あり、境内に石碑あり、滕明夫(大久保狭南)なるもの誌せり
斎藤鶴磯『武蔵野話』文化12年(1815)

小金井桜樹碑
多磨川上水北側にて秋葉の社に並び建てり
『新編武蔵風土記稿』文政11年(1828)

 いずれも小金井桜樹碑の位置を示す指標として海岸寺ではなく、海岸寺門前から五日市街道を東に向かった秋葉神社を挙げています。以上の史料を踏まえて総合すると、元々、小金井桜樹碑は現在地から100mほど東の秋葉神社寄りに、五日市街道に面して建てたものを、現在地に向きを変えて移設したと考えられます。



多摩六都科学館


大型映像「アマゾン・アドベンチャー」~蝶が伝える進化のひみつ~

19世紀半ばに、生物の謎を解き明かすため、、人生をかけて冒険に出た若者ヘンリー・ベイツ。生物の宝庫である南米アマゾン熱帯雨林での11年に及ぶ長く厳しい旅の向こうに、大きな発見がありました。アマゾンの不思議な生物たちの擬態や形態にせまります!



多摩六都科学館


夏の特別企画展 ロクト大昆虫展2019

今生きている生き物の種類のうち、半分以上は昆虫です。(昆虫は私たち人間と体のつくりや生態が大きく違います。)いろいろな環境に適応した昆虫たちをじっくりと観察してみましょう。


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福生市郷土資料室


福生市郷土資料室企画展示「平和のための戦争資料展」

 福生市郷土資料室では、毎年終戦の日に合わせ、平和の大切さを再認識することを目的とした企画展示を行っています。

 今年は、衣料切符や配給品の通帳など市民生活に関わる資料から戦時下の市民生活を考えます。あわせて、戦中・戦後の福生にかかわりが深い、陸軍多摩飛行場や戦後の米軍ハウスなどに関する資料を展示いたします。


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