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鈴木遺跡出土の大型石斧 |
鈴木遺跡から出土した大型石斧
日本の後期旧石器時代の初期には、楕円形をした特徴的な「石斧」という石器が出土します。石斧は日本全国で見ても出土数は多くなく貴重なものです。
鈴木遺跡からはこの「石斧」がいくつも出土しています。そのなかでもっとも大きいものが写真のもので、その大きさは草鞋(わらじ)ほどもあります。そのためこの石器は、「わらじ形石斧」という愛称で呼ばれています。
1階は未就学児もお楽しみいただける、動かせる展示「遊び科学」
ハンドルを回してボールを送ったり(位置エネルギーと運動エネルギー)、回る円盤(地球の模型)に乗ったり、ヘリコプターのような台に乗ったりと(作用と反作用)、からだを動かしながら様々な体験をすることができます。
落下タンク(増槽)
清水家民具館旧蔵。太平洋戦争当時、戦闘機の機体下部に取り付けられた補助燃料タンクです。機体本体内の燃料を温存するために、先に落下タンク内の燃料を使用し、戦闘開始と同時に投棄して身軽になって戦いました。
日本戦闘機の卓越した航続距離を支えた部品ですが、素材は当時の日本の資源不足を反映して、竹製の骨組みに紙張りです。この落下タンクは敗戦直後、調布飛行場から持ち帰り、何らかの容器として使われていたようです。
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多摩六都科学館「生解説プラネタリウム」
多摩六都科学館のプラネタリウムは「最も先進的」として世界一に認定されています。世界第4位の巨大なドームに投影される美しい星空。今夜の星空の解説、そして、ほぼ2カ月ごとにテーマが変わる天文のお話、その全てを、専門の解説員が毎回生解説します。満天の星を満喫する45分間をお楽しみいただけます。
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緑川東遺跡出土 石棒
平成24年に出土した、4本の大形石棒です。
石棒は、縄文時代の磨製石器の一種で、子孫の繁栄や豊かな実りを祈願する「まつりごと」に関係する道具ではないかと考えられています。
通常石棒は、被熱していたり、破損している事例が多いのですが、本石棒はほぼ完形のものが、敷石遺構内に4本並べ置かれた状態で出土しています。
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重要文化財「小林家住宅」 |
重要文化財「小林家住宅」
小林家住宅は、東京都の西部の山岳地帯にあり、月夜見山と御前山を繋ぐ尾根から小河内峠を介して南北に伸びる陣馬尾根と呼ばれる尾根筋上、標高約750mに建っている。平成20年に当時の所有者小林忠利氏から買収し檜原村の所有となった。
建物は、18世紀前半(江戸時代中期)に建てられ、建設された場所にそのまま保存されている山岳民家としては稀有な存在である。
昭和53年1月21日に国の重要文化財に指定されている。
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新規復元建造物「デ・ラランデ邸」
この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
建物内部では、邸内及びテラスにて喫茶やお食事をお楽しみいただけます。
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旧宮崎家住宅 |
重要文化財「旧宮崎家住宅」
「旧宮崎家住宅」はもともと北小曾木村(現在の青梅市成木)にあり、昭和52年に当時の所有者である宮崎義雄氏より青梅市に寄贈されたことに伴い昭和54年に青梅市駒木町の郷土博物館隣接地へ移築されました。
建物については、建築様式からみて19世紀初頭のものであろうと考えられます。昭和53年に国の重要文化財に指定されています。
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パレオ・パラドキシア化石(レプリカ) |
“世界の奇獣”パレオ・パラドキシア
館の1階展示室に、不思議なかたちをした骨の化石があります。これは“世界の奇獣”と呼ばれるパレオ・パラドキシアの頭骨の化石です。パレオ・パラドキシアとは、約1500万年前に生息していたカバのような姿をした哺乳動物で、体長は約3mほどあります。この仲間はデスモスチルス類、あるいは束柱(そくちゅう)類と呼ばれ、丸い柱を束ねたような歯をしているのが特徴です。およそ1500万年前に北太平洋の海岸に現われ、短期間のうちに忽然と姿を消してしまったため、進化の道筋や生態などはわかっておらず、謎に満ちた哺乳動物です。「パレオ・パラドキシア」という名前も、「古くて不思議なもの」という意味をもっています。この化石は昭和63年に五日市駅近くの秋川で発見され、五日市郷土館に寄贈されました。展示室ではこのレプリカを公開していますが、円柱形の歯の特徴などをよく観察することができます。パレオ・パラドキシアは全国的にも発見例が少なく、特に頭骨は非常に希少な資料です。
重要有形民俗文化財「清瀬のうちおり」
重要有形民俗文化財「清瀬のうちおり」(指定年度:平成29度)は、清瀬市及び清瀬市周辺の明治・大正・昭和における衣文化を知る上での貴重な資料です。466点が指定されています。
「うちおり」とは、商品として織られたものではなく、家族や自分のために手元にある材料などを使って織られた織物のことを指します。織糸から綿布や絹布、着物、端裂などがあり、布の使い回しまでが分かる資料群です。
文献として、図録「清瀬市指定有形民俗文化財 うちおり ―糸に託した想い―」、平成17~19年度の各年報がありますので、併せてご参照ください。
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海保オルガン
2004年4月に市民から寄贈されたこのリードオルガンは、正確な製作時期は不明ですが、明治33年(1900)までの保証書が付いていたので、作られてから100年以上たっているというお話でした。
鍵盤の数が61鍵、音色を調節するストップが5個付いて、「海保製作」「大日本東亰三省堂」という文字があり、製作者と販売店がわかります。両側に円形の燭台受けがあり(左側は後補)、元は教会で賛美歌の伴奏に使われ、その後、教会から譲り受けて、持ち主が経営していた幼稚園で使われていました。
全体的によく使い込まれており、特に中央部の黒鍵の色が白っぽくなるまで磨り減り、また、足踏み板のベルトを手縫いで繕うなどの修理の痕もいたるところにみられ、愛着が伺われます。持ち主の転勤や疎開にあわせて各地を転々としながらも、大切に使われてきました。
現存する海保製のリードオルガンは、愛知県犬山市の博物館明治村の1台(犬山市の聖ヨハネ教会堂で使われた39鍵のベビーオルガン)と、当館所蔵のオルガン以外には知られていませんでしたが、2011年の東日本大震災で被災し修復されたリードオルガンが海保製とわかり、現在はこの3台が確認されています。
寄贈の翌年、この貴重なオルガンを約1ヶ月かけて修復し、調布市グリーンホール小ホールでコンサートを開き、明治の音がよみがえりました。
※現在、一時収蔵中のため、常時はご覧いただけません。
市指定文化財「屋敷山遺跡出土中世常滑窯大甕」
この大甕は、明治時代初期に当時の中藤村字屋敷山(現在の中藤一丁目)から出土したと伝えられています。
大甕の形や胎土などの特徴から室町時代(15世紀前半)に、現在の愛知県常滑市付近で作られたものであることがわかりました。
人が一人すっぽり入ってしまうほどの大きな甕です。
プラネタリウム
東大和市立郷土博物館には「プラネタリウム」があります。
プラネタリウムでは、真っ暗なドームの中で満天の星空を楽しむことができます。季節の星空を映しだして星座を探したり、遠い宇宙空間への旅にお連れいたします。
季節ごとの星座や全天に映し出される映像の番組を、平日は1日1回、土日祝日は1日3回投影しています。館内の自動券売機でチケットを購入すれば、誰でも気軽に星空をお楽しみいただけます。
図版
・中村彝(つね)「巌(いわお)」油彩P12 1909年
中村彝(1887―1924)は、茨城県水戸市に生まれました。19歳の時、画家を志し黒田清輝の白馬会研究所に通い、中原悌二郎、鶴田吾郎と交友をもちました。その後、荻原守衛、新宿中村屋 相馬家との出会いにより、欧州文化に感銘を受け、レンブラント、ルノワールに傾倒していきました。守衛の死後、相馬家との交際を更に深め、制作に没頭する中、37歳で結核に倒れました。彝が世に残した作品は、多くありません。この作品は、第3回文展(明治42)に「巌」(宮内庁所蔵)を出品し、褒章を受けた作品の連作にあたり、房州白浜に三ヶ月間滞在した際に描いた貴重な作品です。レンブラント調の画面からは、確かな筆致が伺えます。この作品は、御岳美術館において常設展示しております。
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八王子城跡出土ベネチア産レースガラス器 |
八王子城跡出土ベネチア産レースガラス器
八王子城跡は、八王子市元八王子町三丁目他にある戦国時代末期の山城跡として、昭和26年(1951)に国の史跡に指定されております。
八王子市教育委員会では、環境整備事業の一環として、平成4・5年度(1992・93)に城主北条氏照の居館があったと考えられる御主殿の発掘調査を実施しました。この発掘調査で出土したのがベネチア産のレースガラス器であります。
「レースガラス」というのは、特殊な技法で製作されたガラスのことで、ベネチア(イタリアのベニス)のみで生産されたものと考えられます。
ベネチアガラスは、大坂城や仙台城でも出土していますが、レースガラスは今のところ八王子城跡で出土しているのみです。
*他館への貸し出しや展示替え等のため、ご覧いただけない期間がある場合がございます。詳細はお問い合わせください。
*刊行物(八王子城跡御主殿発掘調査報告書、大地の中の歴史を探る)にも取り上げられています。
図書の販売については、窓口のほか郵送による販売も行っております。詳しくはこちら↓をご覧ください。
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/007355.html
六面石幢(ろくめんせきとう)
立川市柴崎町四丁目、普済寺の後庭にある覆屋の中に、国宝六面石幢が保存されています。六面石幢は仁王像と四天王像を刻んだ6面の緑泥片岩の板石を六角の柱状に組み合わせたもので、六角形の笠石が乗せられています。高さ166㎝、各面の幅は42㎝、厚さ9㎝ほどです。6面のうち、2面には仁王像(阿金剛像・吽金剛像)、4面には四天王像(増長天像・広目天像・多聞天像・持国天像)が刻まれており、寺の安泰と信徒の繁栄を願って建立されたと考えられています。
この石幢が普済寺の開山・物外和尚の弟子である性了たちによって、延文6年(1361)に建てられた、ということが広目天像の板石に刻まれています。
普済寺の六面石幢は、わが国の六面幢の代表的なもので、大正2年(1913)に国宝に指定され、戦後の国宝の見直しとともに、新国宝として再指定されています。
立川市歴史民俗資料館常設展示室には、六面石幢の原寸大レプリカが展示されていますのでいつでも見学することができます。
東京都有形文化財「下宅部(しもやけべ)遺跡漆工関連出土品」
東村山ふるさと歴史館の一押し資料は、東京都有形文化財に指定されている、「下宅部(しもやけべ)遺跡漆工関連出土品」です。
なんと今から約4000年前の縄文時代の漆工に関係する遺物が、市内の下宅部遺跡から出土しました。
この遺跡は湧き水によって守られていたため、通常の遺跡では残りづらい有機質の遺物が多数出土しました。中でも色鮮やかな漆塗りの弓やかんざし、杓子といった貴重な縄文時代の漆製品は縄文人の技術の高さがうかがえる逸品。
さらにた縄文人が漆液を採取した「漆掻き傷」の残る木杭をはじめ、漆液を貯蔵した土器や、赤色顔料をすり潰す石器、貝殻を利用したパレットといった漆工に関わるさまざまな道具が出土しました。
こうした発見から縄文人がウルシ林を管理し、漆液を塗料や接着剤として利用していたことがわかりました。
これらの品々は、現在はふるさと歴史館の分館で、下宅部遺跡現地より徒歩5分に位置する「八国山たいけんの里」に展示されています。
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「多磨寺」に使われた瓦 |
「多磨寺」に使われた瓦
時代:飛鳥~奈良時代
府中に国府が置かれたころ、国府の役所の建物に接して、「多磨寺」と呼ばれた寺院がありました。写真はその寺の屋根を飾った軒丸瓦です。飛鳥時代の終末~奈良時代初頭頃のものでしょう。今のところ都内では最古の瓦ですから、「多磨寺」は都内最古の寺院と考えられます。
紙本着色観心十界図
瑞穂町では、円福寺にて所有している「紙本着色観心十界図」が、東京都有形民俗文化財指定を受けており、この紙本着色観心十界図は、縦140.6㎝、横127.6㎝の掛け軸装で、その図様は上部中央「心」の字の中心に、上部は弧を描くように人間が生まれてから老いる姿が描かれており、どんな人間でも等しく老いと死が訪れるという人間の宿命を強調しています。
また下部は人が生まれ変わり、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の六道、さらに声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の悟界を合わせた十界が描かれています。
本図は中世末期~近世初期に制作されたと推定され。諸国を巡歴して熊野信仰を広めていた尼僧、熊野比丘尼が諸人に勧善懲悪を説く「絵解き」の用具として用いたと考えられており、人の一生及び死後の世界を一枚絵に表した希少な資料であり、瑞穂町郷土資料館では年2回の公開に協力しています。
その他に瑞穂町郷土資料館では、21件の町指定の文化財があり、どれも郷土に関する歴史・文化・自然資料として大切に保護・活用を行っています。
「3Dシアター」
奥多摩水と緑のふれあい館は東京都水道局と共同で運営され、多摩川流域の水道水源のPRと奥多摩の歴史・文化の紹介が主な展示ですが、観光地の中心にあることから奥多摩の自然の紹介も併せて行っています。
中でもお勧めなのが「3Dシアター」です。立体映像(3Dメガネ使用)により、奥多摩から多摩川源流域の四季の自然や見所、郷土芸能を上映しています。普通の映像と違い、モノが飛び出して見えたり遠近感が表現されることからより臨場感が味わえます。
1回の上映時間は約16分で、1日最大で13回上映しています。奥多摩湖へお立ち寄りの際は是非ご覧ください
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江戸時代の玉川上水の水門 |
江戸時代の玉川上水の水門を、実物大に再現!
羽村堰にあった江戸時代の玉川上水の水門を、実物大に再現しています。
ここから取り入れた水が、世界有数の大都市、江戸の生活を支えました。
その大きさから、当時の技術力や江戸の町の規模を体感していただけます。
羽村市郷土博物館には、このほかにも玉川上水に関する資料を展示しています。
小学生の学習や玉川上水散策の参考にぜひご来館ください。
図版
・聖蹟桜ケ丘(多摩市)スケッチ 30.0×38.0 1970年頃
・梅雨期の眼鏡橋(立川市・根川)油彩 P20号 1929年
当館は、多摩を代表する画家倉田三郎が残した多摩の風景画、世界50数カ国を旅する中で描いたスケッチ画などを含む、油彩、水彩画等約2000点の作品を所蔵しています。
倉田三郎は、春陽会の重鎮として知られるところですが、画業のみならず、府立二中から立川高校教諭、東京学芸大学教授を歴任し、さらに国際美術教育学会会長に選任されるなど、美術教育の面においても国際的に多大な業績を残しています。また日本美術家連盟の創設・運営にも尽力し、会派の枠を超えて美術家の地位向上や環境整備に寄与するなど、その指導力・包容力あふれる人間性を発揮して、多方面において活躍しました。倉田三郎の残した作品には、今は失われてしまった多摩の原風景が数多く残されています。